ようこそ! 日本ミッション 2010年9月 5日(日) 20:17 JST
特別DVDの紹介
「生きること」のテーマにふさわしい作品を2つ、紹介します。今日はその一つ。(宣伝になりますが、お許し下さい)

1.賀川豊彦の人物を描いた作品 昭和になって、労働組合を作ったり、農民協同組合、生活協同組合(COOP)の産み親にもなった人物である。 医者から後、余命2年と宣告され、それならば、みんなに良いことをして、死んでいこうと決意して、神戸の日本最大のスラム街と言われていた川崎に(明治42年)行って、貧しい人の友となり、「くれるキチガイ」とあだ名がつけられるほど、自分の持っているものをすべて与え尽くした人物である。この愛により、毎日喧嘩をする虎という人や、栄養失調やトラホームの人を養い、捨てられた子を拾ったり、徐々に街の中から回心者が起こり始め、町が変わっていく。この賀川豊彦は世界に知られ、特にアメリカでは尊敬される人物に数えられている。
この賀川記念館が、東京京王線「上北沢」駅のそばにあるので、ぜひ見て欲しい。
映画としては、賀川豊彦役は国広富之、奥さん役は黒木瞳さん。他、長門裕之、松原千明、大村崑など多彩な顔ぶれが出演している。 とにかく実際にあった事を映画化にした作品で、これほど他人に対して、犠牲的な愛を貫かせるだろうか、殺伐とした今の社会に是非見て欲しい作品である。
作品名「死線を越えて」文部省選定、優秀映画鑑賞会推薦。
1時間40分 DVD1巻 定価4500円
必要な人は、郵便振替で代金を支払って下さったら、送料無料でお送りします。 口座名 大阪 00960=2=325781 加入者名 セーブ
代金確認まで、約2週間かかりますので、お待ち下さい。
特別DVDの紹介第2番目 2009年2月27日
「生きること」のテーマにふさわしい作品を2つ、紹介します。
今日はその残り一つ
2.石井十次の生涯 1865年宮崎県で生まれ、母の慈悲深い様に感化を受け、一途な思いが培われていた。16才で結婚、同じ郷里の萩原百々平、宮崎病院長との出会いがあり、医者を目指す。
19才で金森通倫牧師により、洗礼も受けた。その後、22歳になって岡山県邑久郡に診療所を設けて、診察していた。ある日、女性から幼い子供2人を引き取った。この話が伝わり、孤児が集まるようになり、孤児院を開設した。
子供達には教育と奉仕の学びをさせ、自活への道を進ませる。十次は「親のない孤児よりもっと可愛そうなのは心の迷い子、精神の孤児なのです」と孤児の教育に専念した。小学校をも開設した。 井上薫や首相を退いたばかりの伊藤博文も岡山を訪れ、寄付をされた。子供達から慕われ、映画のタイトルの通り、「石井のおとうさんありがとう」の声は尽きなかった。

児童福祉文化賞を受賞。日本映画批評家大賞など、主演の松平 健氏は、この映画で主演男優賞を受賞している。竹下景子、辰巳琢郎、永作博美、そして大勢の子供達が、史実に基づいて懸命に演じていた。 日本人にこんな一途な人がいたのかと、ある意味で誇れる思いである。今の政治家たちのあきれた姿とは似ても似つかないなぁ、と、爪の垢でも煎じて飲ませてあげたい気持がした。
DVD1巻 定価5250円 必要な人は、郵便振替で代金を支払って下さったら、送料無料でお送りします。
口座名 大阪 00960=2=325781 加入者名 セーブ
代金確認まで、約2週間かかりますので、お待ち下さい。
視聴覚伝道の考え方
視聴覚の効果
感覚の度合い
記憶度テスト
視聴覚教育の意義
教育の原理
意義と字義
伝道の基本姿勢とは
知る、解る、から「できる」へ
繰り返しの効果
社会に及ぼした影響
教育活動に利用化
ビデオ普及による教会への影響
パソコンの普及による影響
ゲーム機浸透による影響
映画と伝道
1.映画利用の意義
① 映画で伝道
② 映画と伝道
③ 映画伝道成功例
例1.あべのキリスト集会所
例2.大阪柏原教会の分校
例3.ニュージランド日本 大阪教会
2.常設伝道映画館の設立
① ヴィジョン
② プラン設計 目標、目的、名称、形態、プログラム、
委員会設立、 特別企画、教会紹介
③ 結果
④ 教会との相互関係と協力体制
⑤ 基本部分 場所、スタッフ、機材、宣伝広報
3.ファミリーサイズ映画伝道
① 目的、字義の意味
② 準備
③ 開催家庭の決定
④ 場所移動スケジュールの決定
⑤ リーダーの打合せと準備
⑥ リーダーの役目
⑦ 子供達の扱い
⑧ フォローアップ
⑨ 継続の知恵
4.ビデオ(DVD)伝道とは
① 速効的な効果
② 累積的な効果
③ 効用論と弊害論
④ 教会の利用状況
⑤ 教会レンタルショップ
(著作権の関わりを考慮して)
5.ビデオ(DVD)活用例
1)礼拝ビデオ 2)ビデオレター 3)ビデオ子供通信
4)約束ビデオ 5)スクラップビデオ 6)成長記録
7)教会宣伝ビデオ 8)教会入門シリーズ 9)教会美術館
10)教会備品取り扱いビデオ 11)教会役割分担ビデオ
12)ビデオ月記、月報 13)教材ビデオ 14)教理ビデオ
15)証しビデオ 16)ビデオ聖書絵本 17)その他
4.教会の作品管理
5.教会ホームシアター
視聴覚伝道
今、教会が用いるメデイア 1999.6.30 高原幸男
アメリカ、フロリダ州のオーランド市に、ケネデイ宇宙センターがある。NASAで有名である。しかし、もう一つにデイズニーワールドのエプコットセンターがあるとのことである。 このエプコットセンターのシンボルは入口正面の大きな銀色のドームである。それは地球をかたどった形をしているとのことである。 この中には、観客を乗せた連結車が、ゴトゴトと坂を上って行くと、星の輝く暗いドームの中に入る。そして、シンセサイザーが不思議な音楽を奏でる中で、ナレーターが「我々は、どこから来て、どこへ行こうとしているのだろう。答えを得るために、過去から歴史をたどって見ようではないか」と、語り始める。そして本物そっくりの人形による原始人の生活が現れ、じつに楽しく、お互いにおしゃべりをしている様子が見えてくる。次にエジプト、グーテンブルグの印刷機の発明。輪転機のそして新聞が生まれ、ラジオ、テレビが登場し、やがて連結車は宇宙の中へと進んで行く。その無数の星の中の一つの星にある宇宙基地の管制室が見えてくる。 ナレーターは「我々は暗黒の宇宙を進む。小さな島。それが宇宙船地球号である。コミュニケーションの発達は我々の生活を変え、世界を変えてきた。今や世界は一つ。われわれはいつ、どこでも知識を得られる巨大ネットワークを持っている」と語って、30分の間に通信ないし、コミュニケーションの歴史と人間との関わりが判りやすく展開されていくと言う。 このナレーターが語る「我々は、どこから来て、どこへ行こうとしているのだろう。」この言葉は人類の歴史始まって以来の根元的な問いではないだろうか。この質問に明確に応えるものは誰一人、聖書以外の一般に見いだせない。 歴史をたどってみると「狩猟社会」から「農業社会」に、そして「工業社会」へと代わり、今は「情報化社会」へと移ってきた。この情報伝達には、メデイアと言うハード部門と知識、サービスと言ったソフト部門から成り立っている。そして、当然大切なのはソフト部門であり、このソフトのネットワーク作り、システム化を必死になって急速に進めている社会となっている。 小さく言えば警備会社のコンピューターと家庭が通信回線によって結ばれて、「安全」というネットワークで張り巡らされたソフトのサービスを受ける。 大きく言えば、通信衛星を通じて世界中の端末機と結ばれたネットサーフインが生まれている。 こんなに進んだ情報化社会の中で、教会はいったい何をしなければならないのであろうか。 どんな山間僻地でも電話と電気があれば、世界中の情報を収得し、会話、買い物、ありとあらゆる事が出来ると言われている。動かずとも、机一つのスペースが世界と肩を並べる企業として成り立つ時代ともなってきている。 ますます人は外に出ないでいいし、人を見る必要もなくなってくる。自分一人の世界の中で、世界の自分を成長させていく。人との出会いも交わりもバーチャル(仮想空間)の世界の中で現実化されていくのである。 教会に行かなくても聖書は学べるし、礼拝もできる。しかも、世界中の教会を自由に見て回れるだけでなく、世界の有名な牧師と個人的に対話が出来るのである。そして、電子マネーが本格化し、世界が一つの通貨体制になってくれば、献金もパソコンで自分の好きな教会や牧師、伝道団体へ自由に捧げられていくであろう。教会に人が来ない時代になるのではないだろうか。 そうなってきたら、いったい教会の会堂は不要になり、パソコンのデータの中にすばらしい教会堂を作成し、ネット上で世界に発信して世界中の加入者と礼拝を行うことが出来てしますのではないだろうか。画像では加入者がその指定した教会の席に座り、説教を聞いている姿を世界中が見ていくのである。このように、わづか一人の牧師と実際には会うことがない仮想信者だけで、息がかかり合うことのない、実際の交わりもなく、成長していくのであろうか。しかも教団教派意識や教理の規定も、幾ら自分の団体の信仰規準や教憲教義を固執しようとしても、知らない世界で壁が無くなっていく情報ネット社会に、教会がどのように対応して行けるのであろうか。 教会はメデイアをこれからどう扱い、どう利用して行くべきであるのであろうか。 伝道会議がこんな社会の中の人間に対してどう、伝道していくのかを、協議されないならば、過去の思い出や歴史の結果を報告し合う、互いの傷をなめ合う慰めだけしか得られないのではないだろうか。 変化のない教会メデイア?! 世の中がコンピューターを通じてバーチャルの世界になって、結婚も仮想の中でやれると言う不思議な社会構造が生まれようとしている。 今の世の中は、情報のスピードに比例して、精神構造、価値観モラルまでも急速に変化をしている。 しかし、ひとたび目を教会に向けたとき、何故か2000年の歴史が変わっていないのではないかと錯覚を受ける程変化がない。 聖書に書かれた初代教会の弟子たちが行っている礼拝の様子と、現代の教会が行っている礼拝の形式に変化はない。言葉は現代語になって、座り心地も良くなっていても、祈りのやり方、聖書の学び、人々への伝道の姿勢は変わっていないように見える。かすかに変化が見えるのは、伝道の姿勢だけは後退(衰退化)しているかも知れない。 変化していない教会が今にある。それがよい。と言う人がいるが、言っているのは体も頭も柔軟性が衰退した、運動が苦手な信仰にも苔が生えたような年寄りだ。 茶髪にピアスをつけ、やぶけたジーパンをはいた若者のカップル。およそクラシックを聴くような様ではない青年が、そのまま教会に訪れることを許し、受け入れる教会は少ないのではないかと思う。大抵、髪の色を黒に変え、整髪してピアスも取ってこの次おいで下さいと依頼する信徒が多いのではないか。しかし、その結果は再び教会にやってこないし、反感のみ与えて寄りつこうともしない。こましな人にはべたべたの接待と、ひつこい勧誘が反感をかっているのである。 今、日本の教会に何かの変化を望んでいる牧師は多い。しかし、それが何であるのか掌握できないでいるのが現状である。 暗中模索のままでも、後6ヶ月で21世紀になる。ペンテコステから教会の誕生があって、家の教会が出来、シナゴグ、石造りの教会、今や、ガラス張りの教会へと新しく立派に変わってきた。聖書もグーテンベルクの印刷機が完成してから世界の言語に印刷が始まり、イスラム、仏教 、ヒンドウ教の国にまで聖書が入りだした。