ようこそ! 日本ミッション 2010年7月30日(金) 16:06 JST
イソギンチヤク 磯巾着 1988年7月記
■ 「たつのおとし子」「偕老同穴」「うみうし」「たこ」と、図鑑を見ては、考えさせられたものを書いてきた。しかし、どの生物を見ても本当に不思議さと、人間の知恵の狭さを見せつけられる。しかもどんなに奇妙な物でも、一貫して基本的な生態は、設計図が書かれているようで統一されている。絶対にと言っていいほど、偶発的でなく、明らかに一人の知恵者による設計であるとしか思えない。そして、その場所にいる生物は、そこの場所に無くてはならない、必要な被造物であるのが判る。
■ イソギンチャクも不思議な生物である.いつ、だれが名づけたのかは知らないが、《磯の巾着》、とは名言である.
この5月に伊勢の浜に行った.正午頃で千潮の時であったため、潮が引いた岩肌に、黒茶色のぷよぷよした膨らみが無数にくっついていた。それがイソギンチャクであった.日本ではこのすぼんだ形が、昔、小銭入れの袋の口を、ヒモで縛った状態が、口を閉ざした磯巾着そっくりなので、名付けたようだ。
海外では、海中で口を開いた状態を、英話で《海のアネモネ》(Sea anemone),ドイツ語では《海のパラ》(See rose)と美しい名をもらっている。
日本人が、お金に執着してしているからであるとは言わないが、ダイバーの人も色鮮やかな岩に咲く花として見ているのだから、もう一寸可愛い名であっても良いように思う.
■ 大敵はヒトデだが、逃げる足を持たない彼らは、ひたすら口を開ざすことで難を逃れようとする.命にかかわることならば、普段のスローモーに似ずたいへんすばやく口を閉ざす。それでもその場所を移動しなければならない時は、《共生》という方法をとり、捕まらないように他の生物の助けを借りる.一つに、ヤドカリとのかかわりは有名である.
■ しかし、近年になって、岩から岩へ移動するイソギンチャクのあることが判り、水中に泳ぐ仲間もいることが判った。その内、北国の海底に棲むフウセンイソギンチャクは、外敵に襲われると、いきなり海底からとびあがって.水中に身をくねらせながら泳いで逃げることが発見されたのである。
■ 進化の過程では古世代の下等生物として分額されているが、詳しく理解されてくると、一面人閣以上の生態を有している高等動物だとも言える.
イソギンチャクは珊瑚と違って、独立、単体の生物である。それだけに、直径が1cm程のイソキンチャクがあれば、1mにおよぶものもあるという。しかも雌雄異体である。その区別は外見からは判らず、イソギンチャクどうしでもあやしいらしい。
■ だからではないが、《キャッチ触手》という特別に長い触手を数本持っていて、あたりをさぐるように動かし、となりの人は何者ぞ、と確かめあう。そこで相手が目指すものならば、しっかりと手をにぎりあって、どちらかがちぎれるまで離れない。これで子孫が増える訳でなく、繁殖方法を別に持っていて、ただつながっているだけの細い糸である.(ひょっとして相互連絡網、ライフラインかも知れない)
■ 人間社会も独立単体で、初めから夫婦親子は分離した個体で育つ.しかし触手ならぬ精神的に、夫婦は赤い糸、親子の絆がしっかり結ばれていないと、誘惑や外敵に瞬く間に食い荒されて、無気力、ノイローゼになる.
■ 教会を「コイノニア」とギリシヤ語で言われるが、交わり、仲間同士共有し合うことの意味があり、主キリストを中心に互いに、しっかりと特び合わされている.集合体の中だからこそ、人は独立した自分を発見するのである.幾ら孤独を愛し、逃避したからとて全くの単体で生きられる訳がなく、互いに依存共有しあっている.教会のすばらしい所は、共通の信仰、霊、愛に緒び合わされていることである.
■ 現代は自然破壊が進み、磯が少なくなって来た。岩にへばりついたイソギンチャクも少なくなった.
世の中の乱れが数会にも入り、霊的破壊が進んでいる.そのためか、キリストなる岩だけに、ヘばりついて、信仰を守っている若者が少なくなったように思える.これ以上に、被害が拡がらないように自然と教会を守りたい。
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